お母さんの声
ここでは、当院で出産されたお母さんの感想を順次ご紹介します。
●酒井真紀子さん(静岡県在住)
すべての出会いに感謝します ゆりかご助産院で赤ちゃんを生むことができた事、心から嬉しく思っています。そして赤ちゃんってなんて素晴らしいんだろうと毎日実感しています。 私達夫婦2人のささやかな(大きな?)希望は自然なお産がしたいなぁ、母乳で育てたいなぁ、という事でした。そんな思いの中で、このゆりかご助産院と出会うことができました。初めて見学に来た時はいろんな話で盛り上がりつい長居をしてしまいました。2人とも素敵な雰囲気の所だと感じ、ここで生みたいと思いました。 里帰り出産だったので、途中からの妊婦健診でした。ゆっくりした健診、中でもお腹を"手"で触ってもらえるコトが目からウロコの素敵なコトでした。最初から受けたかったなぁ…。 赤ちゃんが生まれるまでは予想以上に長く大変だったけど、赤塚さんのお陰で希望通り自然なお産をすることができ、赤ちゃんと会うことができました。生まれたその日は最初から立ち合ってくれた夫と赤ちゃんと3人で憧れの「川の字」で寝ることができ、とても幸せでした。立ち合ってくれた夫は「出産がいかにすごいことなのか、頭をハンマーでぶん殴られた位、強烈に感動した。」と言っていました。 |
赤塚さんが本当に妊婦の身になって、味方になって、出産をサポートしてくれ、生まれた後も赤ちゃんと一緒にいることができた事… ここでの出産・入院は私の人生の中で最も素晴らしい出来事のひとつになりました。 赤塚さん、そしてゆりかご助産院を支える素敵な方々に心から感謝します。本当にありがとうございました。 追記:おいし〜い3度の食事、おっぱいマッサージ、エステ……等々、産後の身体を癒してくれました。 ●助産師:赤塚からの一言 「酒井さんはきっとするっと安産よ〜」との私の予想に反して、ゆりかご始まって以来の長時間にわたるお産でした。その間酒井さんは一言も弱音を吐かず、その姿勢に私の方が励まされ、大切なことを考えさせられました。赤ちゃんも本当によくがんばってくれました。あっぱれ!酒井さんファミリー! |
●立木央子さん(岐阜県在住)
「カナダではお産もインフォームド・チョイスが当たり前である。」上の子を出産して1年くらいたった時に、雑誌の記事を読んですごいショックを受けました。人生のとても大切なことなのに、なぜ私は自分で何も考えなかったのだろうと恥ずかしくなったのです。病院の方針に従うのが当然だと思っていたので、お産に対して自分なりの希望を持つことや、選択する自由があるなんて考えてもみませんでした。吸引分娩でいつ赤ちゃんが生まれたのかもわからず、わけのわからないうちに感動もなく終わったお産でした。私が産んだのではなく、先生に赤ちゃんを出してもらったという感じです。でもそれを不満に思っていいことさえ、知らなかったのです。 その後バースプランという言葉を知り、私の二人目の出産に対する気持ちは大きくなっていきました。でもいざ欲しいと思うとなかなか授からないのです。赤ちゃんが出来なければ、もうこれ以上私の人生を前に進むことはできないと思っていた時期もありました。でもその時間が子どもは親の思い通りになるものではないということを私に教えてくれたのだと思います。妊娠よりも目の前にある生活を大切にできるようになって、その上で夫にどうしてももう1人子どもが欲しいので病院へ行ってみたいという気持ちを伝えました。そして3ヶ月通って、にこちゃん(胎児名)を授かったのです。 |
一方で私は母親として自信がもてなく、いつも不安でした。上の子がまだ3、4ヶ月だったころ、かけがえのない赤ちゃんとの暮らしのはずなのに、毎日とても辛く感じたことがありました。そんな中でいろいろな育児書を読んでいくうちに「育児の原点は出産にある。」という考えに共感するようになっていったのです。そして「親業」という本と出会い、すぐに親業訓練一般講座を受講しました。母親としての自信ができ、上の子に対する愛情もどんどん増していきました。にこちゃんは私が二人のお母さんとして成長するのをずっと待っていてくれたのね。今は心からそう思うことができます。 しかしです!! いざ妊娠して次のお産こそはと思ってもどうすればいいのかわかりません。つわりが始まりとても考えられるような状態ではありませんでした。少しつわりがよくなった5ヶ月ごろ、今度は腰痛に悩まされるようになりました。トコちゃんベルトの存在は知っていたのですが、つけ方を教えてもらわなければ不安で買うことができません。そんな時にゆりかご助産院のホームページを見つけたのです。早速電話して赤塚さんにお会いして大満足でした。腰痛のことだけでなく、バースプランについて、上の子の頭のゆがみについて、ゆっくりお話して頂いていろいろ教えて頂きました。私が、はじめて助産師さんの存在を意識した時でした。 その時はまだ私の中に助産院という選択はありませんでした。何件かの病院に電話して、その中で自分の希望に近いものをと考えていました。その後赤塚さんに紹介して頂いた「いいお産の日」のイベントに参加して、バースコーディネーターの大葉さんの講演を涙ながらに聞き、私のこれからの人生と生まれてくる子の人生のスタートがより良いものになるように、助産院で生んでみたいと思うようになったのです。赤塚さんには一度お会いしただけなのに、この人となら満足のいくお産に向けて私自身ががんばれると感じたのです。 距離的な問題もあって悩みましたが、やはり赤塚さんじゃないと納得できなかったので、夫に私の気持ちを伝え、ゆりかご助産院での出産を決めたのは7ヶ月に入るころでした。そして初めての健診の時、私と赤ちゃんに愛情をこめて、ていねいにおなかを触ってもらって感動しました。エコーと違って赤ちゃんの映像は見えないけど、私の全ての意識が赤ちゃんに向けられていくような、不思議な感じがしました。毎回ゆっくりとおしゃべりしながら、赤塚さんの魅力を感じ、お産が楽しみになっていきました。それから赤塚さんの本棚もとても魅力的です。貸して頂いた本から、お産のこと、育児のこと、夫婦のこと、人生のこと、本当にたくさんのことを学びました。 今回のお産で自分の欲求をハッキリ見つめ、選択し、自己決定し、周囲に協力を求めるということができたことは、私のこれからの人生の大きな自信になります。「どう産むかということは、どう生きるかということ。女性はお産を通して成長できる。」本当にその通りだと思います。 |
そしていよいよおなかが痛くなってきました。それまでおなかが張ることは何度もありましたが、痛くなったのはその時が初めてでした。生理痛のような痛みから始まって、10分間隔で1時間に6回痛みがきたのを確認して赤塚さんに電話をしたのが朝の6時。まさか今日とは。3月31日に生まれるなんて、なんて健気でかわいい子なのかしら!! その日は実家にいたので、夫に連絡し、最初は仕事があるから…という感じだったのですが、迎えに来てくれて、7時ごろに家を出ました。ラッシュで渋滞になってたらと心配したのですが8時前に着きました。お部屋はとてもあたたかく、ピンクのカバーのおふとんが私の気持ちを和ませてくれました。夫と息子と3人でその時を迎えたい。でも隣の部屋でしか待っていてくれないかもしれない。赤塚さんが上手に腰をさする役を頼んでくれました。これであとは私ががんばるだけ。前回は声を出さないようにがまんして、もうこんな痛い思いはしたくない。次は絶対無痛でと頭の中で考えていましたが、今回は自分を解放することも一つの願いでした。「介助する人に十分受け止めてもらうことが、何もできない赤ちゃんを受け止める気持ちにつながる。」ということにすごく共感していたので、お産の場で夫や助産師さん達に、解放しきった私をぶつけてみたいと思っていたのです。言いたいことを言えずにがまんして、苦しくなってしまう私の性格を、少しでも変えられるかもしれないという期待もありました。 まだ5才の息子が痛がるほどにその手を握りしめ、夫に腰をしっかりさすってもらい、思いのままに声を出し、私はすごく自由な存在なのだと感じました。横向きになっていた私の背中側に夫と赤塚さん、前側に息子と内藤助産師さん。4人に触れられると、とても安心できました。誰か一人でも手を離すとその部分がとても寂しくなるのです。触れられることでどれ程安心できるかよくわかった私は生まれてきた赤ちゃんをたくさん抱っこしてあげようと考えていました。生まれる力と産む力を十分に感じられるお産がしたい。陣痛がくる前におなかの中で赤ちゃんが動いて外に出ようとがんばっているのがわかりました。前回は「ハイ、吸って〜、息んで〜」と指示されて、不自由さを感じたのですが、いつ力を入れればいいかは、自分でわかるのです。「立木さん、上手よぉ」と言ってくれる赤塚さんの声に励まされ、私は自分の産む力を信じることができました。そこまで頭が来ているのになかなか出てきません。にこちゃんの好きな時に出ておいでという気持ちから、早く出ておいでという気持ちに変わります。でも次の陣痛がくるのを感じても、不思議と落ち着いていられました。4人に触れてもらえるという安心感があったからです。 お産は痛くて辛いものじゃない。私はすでにそう思うようになっていました。陣痛の間のお休みには、楽しくおしゃべりもしました。息子の存在も大きかったです。何度か赤塚さんと顔を合わせ、病院と違う家庭的な場所だったから息子もリラックスできたのだと思います。そしてついに頭がでました。しっかり感じることができました。体が出て私の胸に赤ちゃんがのせられました。感謝と幸福感でいっぱいでした。しばらくして赤ちゃんは泣き出しました。本当に涙を出しているのです。まだ産湯にもつかっていない、我が子の初めての涙を私はキスでぬぐったのです。本当にかわいい私の赤ちゃん。夫と息子といっしょにがんばって迎えた私達の家族。本当に大満足の素晴らしいお産ができました。ゆりかご助産院を選んで、赤塚さんにお願いして本当よかったと思っています。 |
ファーストフードからスローフードへと時代の流れが変わっているように、私は最先端のお産をしたのだと、自分では思っています。入院中も赤塚さんにはきめ細かく心を砕いていただきました。妊娠中から産後まで、ずっと信頼できる同じ人を頼りにできるということは、とても私を安心させてくれました。赤塚さんに、夫と息子に、内藤さんに、いつもやさしい気持ちになれるおいしいお料理を作って下さったお父様に、お顔も合わせなかった赤塚さんのご家族の方に、感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとう。そしてにこちゃん、元気に生まれてきてくれてありがとう。 たくさんのお母さんがこのゆりかごでよいお産をされますように。元気な赤ちゃんが生まれますように。娘に「あなたを産んだ時、とても安心して幸せな気持ちだったのよ。お産は痛くて辛いものじゃないよ。」と話せる日が今から楽しみです。ありがとうございました。 ●助産師:赤塚からの一言 お産のとき、自分を思いっきり開放したいと望まれていた立木さん。自分の思いのまんまひとつひとつの陣痛を乗り切り、ご家族に見守られながらのお産でした。上のお兄ちゃんのサポートぶりと、妹が生まれたあとすっかりお兄さんになった、りりしい表情が印象に残っています。 |
●名倉万里さん(栃木県在住)
ゆりかご助産院での最後の夜を迎えている。たっくんは、すやすやかごでスヤスヤ中。 たった5日間のあいだにいろんなことがあって、でも時間はゆったり流れていて、今まで体験したことのないような心安らかな日々だった。それもこれもゆりかご助産院との出会いがあってのこと。ゆりかごに巡り合わせてくれたすべてのことに感謝したい気持ちでいっぱいだ。 結婚すれば次は出産というイベントがあるもんだと思い込んでいたのに、なかなか子宝に授からず、もがき苦しみ、改心し、6年目にして手にした喜びであったけれど、つわりもひどくなく、あまり実感の湧いてこないものだった。 このままうまくいって本当に赤ちゃんを抱くことができるのだろうか…という一抹の不安を抱えながら、周囲の方々の気遣いに支えられ、心穏やかな妊娠生活を送ることができた。というのも「近くに助産院ができたんだよ。」という姉からの情報でゆりかご助産院を訪ね、助産師赤塚庸子さんのお話を伺い、お産に対する恐怖心が波が引くように消えていったからだ。 そして自然なお産に耐え得る自分の身体作りに気を配った。禁酒の徹底、3度のごはんはちゃんとする、早寝早起き、マタニティヨガに通う…それぐらいのものだった。多少無理をすることもあったけれど、お腹の子は静かに元気でいてくれた。 |
11月のはじめに実家に戻り、産前産後の数ヶ月を過ごすことになった。まだまだお産までの時間も有り、身も軽かったので、いいお産の日のイベントに羽島まで出かけたり、映画を観に行ったり、スリングを作ったり、毎日の朝夕ご飯を作ったり…と普通に暮らすことができた。ただ赤塚さんより「最低1時間は歩くといいよ。」と言われていたので、よ〜く歩いた。歩くことがこんなに楽しいものだとは思わなかった。12月に入ってもあたたかい陽気は続き、お庭で姉と姪っ子とピクニックなんてこともよくした。 その日も姉と姪っ子と3人で作業所のバザー会場まで歩いて出かけ、お昼はピクニックをしていた。ただ「今日はやけにお腹が張るような感じがするなぁ」という想いはあった。今振り返るとその前の日から、オリモノがうす茶色くなっていたし、量も多くなっていたのだが、石原先生から「予定日かそれ以降になりそうだね。」という言葉をいただいていたので、しばらくはマタニティライフを楽しめるぞといろいろ計画していたので、お産本番の心構えは全く出来ていなかった。 ちょっと今日は疲れちゃったなぁ、早く身体を休めよう、といつもより早く夜9時ころベッドについた。なんとなく下腹が痛いけれど、トイレに行きたいだけだろうと思いしばらく寝ていたのだけど、なかなか寝つけなく、しばしば目を覚ました。深夜1時頃、何かが破裂したらしくうすピンク色のお水が流れ出てきた。これが破水というもの!?と慌てふためき、急いで就寝中の母親を起こし、赤塚さんに電話してもらった。 すごい寒気が襲って来る。やだやだどうしよう!赤塚さんには1時間くらい様子を見るように言われたものの生理痛のような痛みはますますきつくなり、話すこともままならなくなっていった。母の車に乗せてもらい、ゆりかごまでの道のりの長いこと。いつもなら歩いて30分の道のりも短く感じられるのにーーーー。痛くて車から降りることが出来ず、しばしタイム。母の肩を借り何とか歩き中に入ると、あたたかいたたみの部屋に布団が敷かれていた。 |
布団に横になり安堵したのもつかの間、身もよじれるほどの激しい痛みに耐えきれず、もう力まずにはいられなかった。自分がイメージしていた"スルッとお産"には程遠いよなぁ、と客観的に見つめる自分もいた。でもどうやら力むごとに赤ちゃんは産道を下りてきているらしく、「髪の毛が見えてきたよ」には「えっ うそ!?」という心境だった。「頭が出てきた」との言葉にまずほっとした。苦しみもがくこと2時間弱で赤ちゃんはスルッと出てきた。あたたかな赤ちゃんをお腹の上に乗せてもらったときの感動はちょっと言い表せない。「かわいい、かわいい」を何度も連発した。私の胸の上まで来てほっと一息ついている赤ちゃん。本当にご苦労さまの気持ちでいっぱいだった。そして赤塚さん、サポートの中平さんに「ありがとう、ありがとう」と何度も心の中でつぶやいた。 お産という大イベントはこれで終わったけれど、これから待ち受ける試練(もうはじまっているけれど)も、こうして周りの方のサポートを受けながら乗り切っていけるはずだ、と理由もなく予感している。 最後になりましたが、"ゆりかごよ、永遠なれ!" ●助産師:赤塚からの一言 入院してから1時間ほどというスピード出産でした。入院中は、すやすや籠でスヤスヤ中の赤ちゃんを前にして佐藤初女さんの本をぱらぱらとめくっていた名倉さんが思い浮かびます。 |
●家木裕子さん(兵庫県在住)
麻帆ちゃんが私達夫婦のもとに宿り、そして月満ちて無事に出産の日を迎えることができたことを神様に感謝します。 私の妊娠はもしかしたらという予感に始まりました。一日に5〜6度食べては吐くというつわりを体験し(体重はさほど減りませんでしたが)、そして楽しい安定期を過ごしました。お腹の中に赤ちゃんがいるという喜びは何をするにも常にあたたかい満ち足りた気持ちにあふれていました。もちろん身体も同じかといえばそうではなく、つわりの時期は過ぎたはずなのに、結局生まれる瞬間ぎりぎりまで常に気持ちが悪いということは続きました。お腹が張り気味でトコちゃんベルトのお世話になりっぱなしでした。楽しく過ごせたのはマタニティスイミングに通い、たくさんの妊婦仲間ができ、スイミングの後ランチに行ったり、お互いの家へ遊びに行ったりしたことや、そこで素敵なコーチと助産師さんと出会えたからだと思います。お二人とも4人のお子さんの母親であることから、私たちに子どもの可愛さ、愛しさ、また苦労話など語っていただき、不安であったことは安心、そして期待へとふくらんでいきました。 私がここゆりかご助産院に出会わせていただいたのもスイミングでの助産師、志村さんのおかげです。里帰りする前に、仙骨の痛みの為、仰向けになれないという相談をしたところ、こちらを紹介してくださったのです。それまで出産は病院で行うものという頭でいた私ですが、ホームページを見て、実際赤塚さんとお話させていただき、考えがかわっていきました。子どもをできるだけ母乳で布オムツで育てたい、出来るだけ自然の力で行っていきたいという私たちの願い、そして私の身体のゆがみをなおしてもらえる。母乳の相談ができるといった、病院だけでは解決できない願いを叶えてくれるところ、そういった希望が全て一ヶ所でOKになるということがわかってきました。双方の両親の反対もほとんどなく、私自身の貧血が治れば良いというところになりました。最初は病院よりも助産院の方が自分と子どもにメリットが大きいという単純な理由だったのですが、数回の妊婦健診を経て、赤塚さんの魅力にとりつかれたということが、ここで産みたい、他では嫌だという思いになった要因であろうと思います。 |
日に日に予定日が近づき、とうとう当日になっても陣痛らしい痛みはなく、しかし親の心配(身体の方に対する)、友人からのメール、近所の人からの「まだ?いつなの?」という声(それまではあたたかい、ありがたい声のはずだったのに)、そういったものが自分の中でストレスとしてたまっていくのがわかりました。夫に電話口で話をしても、なかなか気持ちは通じません。とうとう次の日の夜、無理を言って神戸から私の実家へ来てもらいました。週末を一緒にすごし、気持ちのゆらつきをぶちまけ、予定は未定なんだ、赤ちゃんは自分がちゃんと生まれてきたい日を選んで出てきてくれるんだという様に気持ちがリラックスでき、彼は帰って行きました。 次の早朝からそれまでより強いお腹の張りが定期的に続きます。もしやと思い、大阪に仕事に出かけるはずの赤塚さんにTelし、経過を見ました。その日は1時間半ほど散歩をし、その後も家の中でほとんど座らず立ってすごしました。ぼーっとすることもできず、なぜかいきなりクッキーなど作ってみたりもしました。しかし痛みは間隔が短くなったもののそれほど強くはありませんが一度ゆりかごに訪れました。まだまだだということで一旦家に帰り、夕食をとり、入浴をした頃には、今まで体験したことのない生理痛のようなものが約10分おきにおとずれ、こちらに入院となりました。分娩まではなんと5時間半弱と短かったのには後で本当におどろきました。その間何も言わずただ腰をさすり、見守っていてくれた母に感謝です。頑張って、上手だよ、と言って腰をさすり、はげまし、とりあげて下さった赤塚さん、小川さんにも本当に本当に感謝です。 何事も初めての経験でわからないことだらけの中、自分の今ある状況が正しく上手く進んでいるのだと認識させてもらえるのは、痛みに耐え、頑張れる一因となりました。 頑張れ麻帆、頑張れ麻帆と言いながら、いきむことができたのは、陣痛の合間にものすごくリラックスをし眠ることができたからでしょう。今考えるとすごいことですよね!と思ってしまいますが…。出てきた麻帆の髪をさわり、さらに産声を聞き、もう少し頑張り産みおとしました。 |
お盆明けの頃、来月1歳のお誕生を迎える麻帆ちゃんと遊びにいらしてくださいました。家木さん手作りのベビースリングでピーナッツ抱きをしてもらってご機嫌です。 |
初めてこの子を腕に抱いた時の気持ちは一生忘れることはできないわたしの宝物の思い出となりました。 そして退院の日を無事迎えることができました。夜中何度も授乳の際つきっきりでの指導をいただいたおかげと麻帆の食欲のおかげで、ずい分とスムーズに授乳もできるようになり、この調子なら完全母乳で育てられるでしょう。初めてだらけのことがこれほどスムーズに事が運び、本当に長〜い入院生活だったと思えます。 今後も何度も何度も失敗し、つまずき、悩んでいくことかと思いますが、赤塚さんに頼れば大丈夫という強い信頼のもと、育児にはげんでいきたいと思っています。第2子が宿ったらまたここに帰ってこれたらいいのになぁなどとずい分先まで思い描いてしまいます。 お産をする環境も、今では自分で望み選ぶことができることがよーくわかった今、心のこもった(本当の意味での)場所を選ぶことをおすすめしたいです。 長々となってしまいましたが、私たちの子が生まれるまで、また生まれてからの全てのことにかかわってくださった全ての皆様に心からの感謝の気持ちを伝えたいです。本当にありがとうございました。 ●助産師:赤塚からの一言 はじめは骨盤ケアを受けられるつもりで、ご両親と一緒にいらっしゃいました。いろいろとお話していくうちに、ゆりかごでのお産を望まれたようです。ありがとうございます。「麻帆ちゃん、がんばれ。」と自分とおなかの中にいる赤ちゃんを励ましながらお産されていた姿が印象的でした。その後もご実家に帰省されるたび、成長している麻帆ちゃんと一緒に遊びにいらしてくださいます。 |
●大井紀子さん(岐阜県在住)
私は最初、近所の助産院で産むつもりでしたが、私が希望する場所ではないと悩みはじめていました。 そんな時、赤塚さんから「どう?」と声をかけてもらい(今思えば天の声)初めてゆりかご助産院に来てみました。妊娠が進み、痛みの出てきていた下半身は楽になり、そのころ赤ちゃんも下がり気味で張りも出てきていたのですが、これもトコちゃんベルトでかなり解消。そして一番楽になったのは私の気持ちでした。 赤塚さんと話をしていくなかで、前の助産院で持っていた違和感や色々なもやもやしていたことが少しずつ消えていき、いつしかここで産みたいと思うようになりました。 家に帰り、だんなさんを説得、最初は自宅から助産院までの距離があることから反対していたダンナさんですが、私の熱意を理解してくれ、そして「赤塚さんにホレた」と言ってくれ、ゆりかごでのお産をOKしてくれました。 無事お産の日をむかえるまで、モコすけ(胎児名)にはお腹が張り気味だったり35、36週と続けて出血したりと心配させられましたが、9月4日、この日までしっかりお腹の中で育っていてくれました。 |
始まりは破水でした。 前の日から痛みを伴う張りが続いていたため、そろそろ陣痛がくるかと思っていたので、早めにその日はベッドに入りました。 痛みで目が覚めると、チョロッとお水が下がってくる感じ。おしるしもあり、不規則な張りだったけど、痛みはあきらかに今までとは違っていたので、赤塚さんに連絡し、ゆりかご助産院へむかいます。車の中、冷静に見せようとするパパがおかしかったです。到着して赤塚さんの笑顔を見るととってもホッとしました。 なかなか陣痛の間歇が短くならなかったので、途中ウトウトしたり、朝食・昼食もしっかり食べられました。痛くてもお腹はすくし、食べたいという欲求もありました。パパとお外に散歩にも行きました。痛みがあるときはフーフー言いながら腰をフリフリさせていたので道行く人たちはびっくりしていたことと思います。これらの行動により体力は温存され(休息や食事により)陣痛の間歇も短くなって(歩いたことで)いったので、今思えばモコすけにそうした方がいいよと教えてもらって自然に自分がそう行動させられていたのではないかと思います。 夕方になり陣痛の間歇が短くなってからはあっという間でした。とても痛かったですが、私の手をにぎり、心配そうに「がんばれ」と声をかけてくれたり、髪をなでてくれたりするパパがいたので心強かったです。そして赤塚さんがずっとそばについていてくれること、赤塚さんや助っ人の助産師小川さんが「上手だね。順調だね。」と言ってくれる声にはげまされながらモコすけは、私とパパのところに生まれてきてくれました。 |
モコすけが生まれて、私の胸の上にきてから退院の日をむかえるまで私たちはかたときも離れることなく、のんびり、ゆっくり、とても幸せな穏やかな時間をゆりかごですごしています。 これからお産をゆりかご助産院でと思っている方へ 自分を信じて、赤ちゃんを信じて、そしてこれから大きな大きな存在になる赤塚さんを信じて、ステキなお産をして下さい。ゆりかご助産院ですごす時間を楽しんで下さい。 私自身、陣痛が痛かったと書きましたが、もうその痛かったということだけでどれくらいかなどはおぼえてなく、お産の時の感動やゆりかご助産院での幸せな時間しか思い出せないくらいです。 最後に私の時に同じ思いをしてくれたであろう両親にとても感謝です。 そしてモコすけ、パパとママの子に生まれてきてくれて本当にありがとう。これからよろしくね。 ●助産師:赤塚からの一言 大井さんのお産は、記念すべきゆりかご助産院での第1号のお産でした。ちゃんと37週を超えてからのお産になるか心配もしましたが、その気がかりは杞憂におわり、37週2日、2,510gというなんとも健気な大きさで、元気に生まれてきてくれました。入院中の大井さんはいつも微笑みを浮かべ、やさしいおかあさんでした。赤ちゃんはいっぱいおっぱいを飲んでぐんぐん大きくなっていきました。 |